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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)284号 判決

上告人

池田潤一

関芳成

右両名訴訟代理人弁護士

藤平芳雄

被上告人

福岡信用金庫

右代表者代表理事

大西篤

右訴訟代理人弁護士

石丸拓之

中山茂宣

主文

原判決中、上告人らの予備的請求に係る部分を破棄し、右部分について本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

上告人らのその余の上告を棄却する。

前項に関する上告費用は上告人らの負担とする。

理由

一  上告代理人藤平芳雄の上告理由第一点及び上告人池田潤一の上告理由中主位的請求に関する部分について

原審は、上告人池田潤一には、山本幹有の本件預金契約締結の意思表示が心裡留保によるものであることを知らないことにつき過失があるとして上告人らの主位的請求に係る本件預金各五〇〇〇万円の払戻請求を棄却した。原審の右認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程にも所論の違法は認められない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

二  上告代理人藤平芳雄の上告理由第二点及び上告人池田潤一の上告理由中予備的請求に関する部分について

1  原審の認定した事実関係の大要は、次のとおりである。

(一)  甲野一郎は、金融業を営む乙川二郎の融資金の取次、紹介、取立て等を行っていたが、その知人ないしは仲間である丙沢三郎、丁海四郎らと共に、被上告人の大浜支店において支店長代理として預金契約締結の権限を有していた戊陸五郎を引き込み、昭和五九年九月から同年一一月の間に合計一一回にわたる詐欺事件を起こした。本件はその一部である。

(二)  乙川は、昭和五九年八月ころ、知人である春川六郎を介して金融業者である上告人池田に対し、被上告人への預金を勧誘した。その際上告人池田に示された預金の条件は、(1) 銀行振出しの自己宛て小切手で普通預金として三か月間預金すること、(2) 謝礼金として預金額に対する月二分の割合による金員を支払うこと、(3) 三か月間は、被上告人に対して払戻請求、問合わせ等一切の接触をしてはならないこと等であった。

(三)  上告人池田及び同人と共同して金融業を営む上告人関は、乙川の勧誘に応じ、被上告人の大浜支店に各五〇〇〇万円を三か月間普通預金として預け入れることとした。そして、上告人池田は、乙川から、謝礼金の内金二〇〇万円の支払を受け、この預金すべき一億円をも含めて二億円を乙川が上告人池田から借用している旨の借用書を徴した。

(四)  上告人池田は、昭和五九年九月一三日、上告人関の代理人も兼ねて、自宅のある大阪府から、額面五〇〇〇万円の銀行振出しの自己宛て小切手二通を持参して、福岡市内の被上告人の大浜支店に丁海の案内で赴いた。

(五)  大浜支店の応接室において、戊陸支店長代理は、上告人池田に対し名刺を渡して自己紹介をしたが、上告人池田は、名刺を出すことも自己紹介もせず、預金の種別、条件等について話をすることもないまま、預金の手続を行った。上告人池田から本件小切手の交付を受けた戊陸は、応接室内の上告人池田の面前で、あらかじめ自分が立て替えて各二〇〇円を預け入れ、正規に発行された上告人ら名義の各預金通帳の「お預り金額」欄に五〇〇〇万円と手書きし、その金額の頭部に「戊陸」という小印を押し、「お届印」欄に上告人池田の持参した上告人両名の実印をそれぞれ押した上、右各通帳を上告人池田に交付した。上告人池田は、右通帳の入金の記載を確認した後、戊陸に対し、右小切手金の受取書の交付を求めたところ、同人はためらう態度を示したが、丁海の口添えもあって、同支店備付けの振込金受取書用紙を使用して、上告人らが同支店に自己宛てにそれぞれ五〇〇〇万円の振込みを依頼し、同支店がこれを受領した旨の振込金受取書各一通を作成して、上告人池田に交付した。

(六)  戊陸支店長代理は右各小切手を被上告人に入金しなかった。

2  上告人らの本件の予備的請求は、被上告人の被用者である戊陸支店長代理が右のように本件小切手を詐取したことにより上告人らが被った損害の賠償を使用者である被上告人に対して請求するものである。

原審は、前記事実関係の下において、次のとおり判断して、上告人らの右請求を棄却した。

上告人池田は、金融業者でありながら、誠に奇怪かつ不可思議な預金条件を受け入れた上、関西から遠路はるばる博多に至り、地方の信用金庫の一支店に計一億円の普通預金をしたのに、戊陸に対し自己紹介をすることもなく、支店の責任者への紹介を求めることもしないばかりか、戊陸が預金通帳に各五〇〇〇万円の入金を手書したことを知りながら記帳方法の不当性を指摘することもなく、被上告人が預金を求める理由、意味、必要性、預金条件等を一切質していないこと、戊陸の態度も、本件預金に関する質問、話題を全く提供しないまま、黙々として預金通帳の交付等事務手続に専念するという大口預金を受け入れる地方金融機関の一担当者の態度としては不自然、不可解なものであることなど本件預金の勧誘から預金契約の締結に至るまでの一連の過程においてもろもろの異常性があったことからすると、上告人池田には、戊陸がその職務権限を逸脱して預金名下に本件小切手の交付を受けることを知らなかったことにつき重大な過失があるから、上告人池田及び同人を代理人とした上告人関は、戊陸の使用者である被上告人に対し、これに基づく損害賠償を請求することはできない。

3  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

(一)  被用者の取引行為がその外形から見て使用者の事業の範囲内に属すると認められる場合であっても、それが被用者の職務権限内において適法に行われたものではなく、かつ、その相手方が右の事情を知り又は重大な過失によってこれを知らなかったときは、相手方である被害者は、使用者に対してその取引行為に基づく損害の賠償を請求することはできないが(最高裁昭和三九年(オ)第一一〇三号同四二年一一月二日第一小法廷判決・民集二一巻九号二二七八頁参照)、ここにいう重大な過失とは、取引の相手方において、わずかな注意を払いさえすれば、被用者の行為がその職務権限内において適法に行われたものでない事情を知ることができたのに、漫然これを職務権限内の行為と信じたことにより、一般人に要求される注意義務に著しく違反することであって、故意に準ずる程度の注意の欠缺があり、公平の見地上、相手方に全く保護を与えないことが相当と認められる状態をいうのである(最高裁昭和四三年(オ)第一三三二号同四四年一一月二一日第二小法廷判決・民集二三巻一一号二〇九七頁参照)。

(二) 原審の確定事実によると、上告人池田は、被上告人の大浜支店内の応接室において、預金契約を締結する権限を有する戊陸支店長代理に預金の趣旨で本件小切手を交付し、右入金が記帳された正規の預金通帳を交付されており、その限度で正規の預金手続と異なるところはない。そして、上告人池田は、もともと正規の預金を勧誘されたものではないのであるから、原判示のように、預金の条件や上告人池田及び戊陸の預金手続時の態度、行動が通常の預金の場合とは異なっていたなど、本件預金の勧誘から小切手の交付に至るまでの一連の過程に正常な普通預金取引としては不自然な事情があったとしても、これらの事情だけから、上告人池田に、戊陸がその職務権限を逸脱して小切手の交付を受けるものであることを知らないことにつき故意に準ずる程度の注意の欠缺があって、公平の見地から、上告人らに全く保護を与えないことが相当と認められる状態にあったとまでいうことはできず、過失相殺としてこれを斟酌すべきか否かは別として、いまだ前記の重大な過失があると認めるには足りないものというべきである。したがって、右事実関係の下において、上告人池田の重大な過失を認めて、上告人らの予備的請求をすべて棄却すべきものとした原審の判断には、民法七一五条の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法があるものというほかなく、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。

三  以上の次第であるから、原判決中、上告人らの予備的請求を棄却した部分を破棄し、右部分について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととし、その余の上告は理由がないので棄却することとする。

よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾崎行信 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)

上告代理人藤平芳雄の上告理由

第一点

原判決には民法第九三条但書の解釈適用を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄さるべきである。

一 原判決は、被上告人の「上告人らは、戊陸が本件小切手を預金として受け入れる意思がないことを知っていたか若しくは知り得べき状況にあったから、民法第九三条但書により本件預金契約は無効である」旨の主張を容認して、上告人らの各金五〇〇〇万円の預金の払戻しを求める主位的請求を排斥した。

二 原判決は「上告人池田が戊陸において本件小切手を正規の預金手続に乗せて受け入れる意思のないことを薄々気付いていた旨推認することは決して故なきこととは言い切れないのである。しかし、本件全証拠によるも尚今一つの確証を欠くといわざるをえない結果、戊陸の真意を知っていたとまでは認めることができない」と述べる。(一〇丁裏末行より一一丁表五行まで)

これは当然のことである。上告人池田は金庫に預金が確実に入ることを絶対の条件と考えていたのであり、金庫に預金とならないことを少しでも察知したら戊陸に保証小切手を渡すようなことはあり得なかったのである。上告人池田の全行動がそれを物語っている。

三 しかし原判決はついで左に述べるような事実を認定して(この事実認定は採証の法則を誤り、経験則にも反する重大な誤りをおかしているが)、「上告人兼上告人関代理人の池田は、本件預金契約の締結に際し、被上告人大浜支店の戊陸支店長代理が計一億円の本件小切手を正規の預金として受け入れる意思がないことを容易に知り得べきものであったと認めるのが相当である。したがって被上告人と上告人らとの間で成立した各五〇〇〇万円の本件預金契約は民法第九三条但書により無効なものといわなければならない」と判じている(一二丁裏一〇行目より一三丁表三行目まで)

四 その事実とは凡そつぎのようなものである。

(一) 上告人らが本件預金の勧誘をうけた際の状況

(1) 謝礼その他乙川から提示された条件は五〇〇〇万円二口の普通預金を正規の金融機関に預託する場合の勧誘として極めて異常である。

(2) 預金前乙川から本件預金を含む二億円の借用証を徴しており、右は後日本件預金の払戻しがなんらかの理由により不能に帰した場合に備えての資金回収保全の措置を講じたに外ならない。

(二) 預金時の状況

(1) 大阪在住の上告人らが福岡県の地方信用金庫の一支店に計一億円の普通預金をすること自体極めて異常な預金方法である。

(2) 確実な預金方法である振込送金等の方法を採らず、遠路遥々博多に至っている。

(3) 被上告人大浜支店においては、上告人池田も上告人関を装う春川も自己紹介をしないばかりか殆ど黙して語らず、上告人池田は同支店応接室において一〇分ないし一五分に亘り戊陸と面接した間、戊陸に本件小切手を手渡し預金通帳をうけとった以外に、預金の理由、条件、内容等本件預金に関する会話は全く交わさなかった。

(4) 戊陸に対し、同支店の責任者の紹介を求めるでもなかった。

(5) 同応接室において戊陸は五〇〇〇万円の入金を手書きし、上告人池田も右手書きを確認したが、格別それに異を唱えなかった。(これは全くの事実誤認である。)

(6) 上告人池田は預金通帳と別個に本件預金の払戻しが不能に帰したときの対策ともみられる受取書の発行を求めた。

(7) それに対して拒否反応を示した戊陸(これも戊陸の嘘言である)の態度をみても、敢えてこれを意に介さず黙々と預金手続を終えて退出した。

五1 ところで、以上の事実から、果して原判決がいうように、戊陸は外形上預金を受け入れる表示はしているが、内心の真意は計一億円の小切手を正規の預金としてうけいれる意思がないものであることを、上告人池田において容易に知り得べきものであったと認めうるであろうか。

2 上告人池田は乙川より、「月二分の謝礼をするから被上告人金庫に五〇〇〇万円ないし一億円単位で三ヶ月間普通預金をしてほしい。戊陸支店長代理が担当であるから保証小切手で大浜支店へ持参してくれ」との依頼をうけた。金庫では相互銀行へ昇格を運動しており、そのためには預金量をふやす必要もあり、戊陸支店長代理が特命でその衝にあたっているとか、外に政治がらみの話も出ていた。上告人池田としては金庫においてなんらかの事情があり、世にいういわゆる協力預金を求めているものと理解した。その実体の詳細は分らないものの、いわゆる導入預金まがいのものであるかもしれないとも思われた。金融業をしていると、時にこの種の話がもちこまれ、上告人池田がこれに応じたことも一再ではなかった。このような場合概ね月二分程度の謝礼が支払われるのが通例であった。過去において導入預金の弊害が指摘され、これが防止のため「預金等に係る不当契約の取締に関する法律」が制定施行された。しかし現実社会では、右法律に触れない形でのいわゆる協力預金等と称せられるものが行なわれていて、謝礼をするから金融機関へ預金してほしいと要請してくる者があり、依頼があれば上告人池田はこれに応じてきており、これまで格別のトラブルもなかったのであった。

3 謝礼額月二分は一見高額にみえる。しかし町の金融業者では確実な不動産担保で月三分というのが通常である。ちなみに貸金業の規制等に関する法律では、電話加入権に質権を設定し確実な担保をとった場合でも現在月四分五厘までの利息が認められている。また上告人池田らは本件五〇〇〇万円二口の預金の所要資金を銀行借入れで賄っているが、年七ないし八パーセントの利息を負担しているのである。一審判決が「月二分の謝礼金も原告池田のような金融業者にとってはさほど高いものとは考えられない」と述べているのは、現行資本主義体制下における社会の実情に対し理解を示す正当な判断である。

4 上告人池田が乙川より借用証をとっていることが問題視されている。しかし甲第一一号証の記載と上告人池田の供述を綜合すると、つぎのとおり認められる。乙川が上告人池田に最初もってきた話は不動産を担保とする融資依頼であった。しかしその不動産はいまだ乙川名義に移転登記できていなかったところから、その登記が完了するまで融資は見合わすことになった。その後、改めて乙川より本件協力預金の依頼があり、これに応ずることになった。そういう経緯があったことから、導入預金の疑いをうけた場合は、「最初乙川から不動産担保の融資依頼をうけたが、いまだ乙川名義に移転登記が完了していなかったので、その登記が完了するまで、乙川の希望指定する金融機関へ預金しておき、登記が完了した時点で、その預金を解約して乙川への貸付を実行する。乙川の依頼が被上告人金庫へ預金した事情は右のごとくで、導入預金ではない」と弁解をすればよいと考え、あわせて乙川への責任追求や金額、期日、謝礼の約定の確認のためにも役立つとの考えから借用証をとっておくこととしたのである。

このように上告人池田が配慮したことがかえって裏目に出て原判決指摘の疑惑を産むことになろうとは夢にだに思ってもみなかったことであり、非常に心外でもあるわけである。

5 前記2に記載したとおり、別途謝礼を伴ういわゆる協力預金なるものが現実に行なわれており、上告人池田は特別の違和感もなく前記の乙川の要請に応じたのである。謝礼がえられるところから、乙川の要請どおりにした関係上、その指定の福岡の地方信用金庫の一支店たる被上告人大浜支店へ普通預金をすることになったのであり、振込送金によらず保証小切手を同支店戊陸支店長代理の許へ直接持参したのも乙川の指示に従ったのである。それだけのことであって、別に異とするに足りない。

6 原判決は、「預金時上告人池田がほとんど黙して語らず、預金の理由、条件、内容等本件預金に関する会話は全く交わさなかった」というが、別に異とすることでもない。それらのことはすでに決定されていたことであり、上告人池田においてはただ指定どおり保証小切手を戊陸支店長代理に渡し、預金手続をすればよいのであり、それ以上に何も話し合う必要はなかった。もともと上告人池田は口数の少ない人物である点もあって、不必要な対話はしなかっただけのことである。必要なことはちゃんと話している。

7 「責任者の紹介を求めなかった」というが、いやしくも戊陸は支店長代理という役職者であり、預金手続をする際、いちいち支店長を紹介してくれと求めることが一般的に要請されることではない。

8 原判決は「応接室で戊陸が池田の面前で入金を手書きし、上告人池田が手書きを確認したが、異を唱えなかった」という。(この点は事実認定の突然の不意打ち的重大変改である。原審は信用すべからざる戊陸の証言を盲目的に採用したのであろうが、合理性を欠き、違法な認定である。甲第四、五号証(預金通帳)をみると明らかなとおり、五〇、〇〇〇、〇〇〇の字と「他券」という字は手書きであるが、59―9―13はゴム印であり、五〇、〇〇〇、〇〇〇の字の各頭部には「戊陸」の小印がおされている。上告人らは、これらの押印、記載は池田の面前でなく、別室でなされ、出来上がったものを応接室でうけとった旨主張している。応接室には日付のゴム印はなかった。また池田の面前で戊陸が小印を押したという事実もなかった。上告人らの主張を排斥し、原審のような認定をするのであれば、応接室の池田の面前でいつどのようにして日付のゴム印が押印されたか、その具体的状況が証拠によって明らかにせられねばならないはづである。然るにかかる証拠は存しない。上告人が主張立証しているように戊陸は別室で「他券」や五〇〇〇万円の手書きをし、日付のゴム印や戊陸の小印を押し、体裁をととのえてその通帳を応接室に持参し、池田に交付したのである。甲第一二号証の刑事判決も同様に認定している(二三丁の表の二に記載)重大な事実認定の変改であるだけに恣意的にでなく、証拠に基き合理的な説明が加えられるべきが至当である。結局この点の原判示には採証の法則を誤り、また証拠にもとづかないで事実を認定したもので、理由不備の違法がある。)

しかし、この手書きの点については一審判決が「本件のような他店小切手による普通預金預入れの場合は、現金による場合とは異なる取扱いがなされることになっているし、現金による預入の場合でも集金のときは、本件の場合のように預金通帳に入金額が手書きの方法で記入され、金額の頭部に集金人の小印が押捺されることがあって、必ずしも金額の手書き即虚偽記入とはいえない」と述べているとおりである。銀行の実務は各行によって多少の差異もあるところでもあり、手書き即不正ときめつけるのは独断というほかはない。

9 上告人池田が預金通帳と別個に「受取書」の発行を求めたことは事実である。池田は慎重な性格で、これまでから初めての預金の折など何か預金を裏づけるものを求めるようにしていた(本件より少しあと同種協力預金として、大分市の豊和相互銀行大道支店へ一億円の定期預金をしたが、その折も証書とは別個に何か裏づけになるものがほしいと要請して、貰いうけたのが甲第一三号証の定期預金入金伝票である。ちなみにこの預金は事故もなく決済されている。)上告人池田としては慎重な性格の故もあって、持参した保証小切手が確実に被上告人金庫に預金として受け入れられることを確認すべく、念には念をいれ、注意を払うようにしていたのである。原判決のように疑念があったからこそ要求したのだろうと悪意にみられてはまことに心外である。

10 戊陸が拒否反応を示したというがそのような事実はなく、すなおに応じてくれたものであり、押切印の押捺された振込金受取書(甲第五号証の一、二)が作成され、(これは応接室で池田の面前でなされた)上告人池田はこれを受領確認した。このようにして預金手続が終了し、戊陸支店長代理より通常の預金の場合と同様の粗品二組もさし出され、これをうけとって上告人池田は安心してごく普通に退出したのである。

11 いうまでもなく、わが国においては、一般人の金融機関に対する信頼は絶大なものがある。金融機関の側でも信用を生命としている。地方の一信用金庫といえども同じである。その信用金庫の支店長代理たる者が支店店舗内応接室で顧客から高額の銀行保証小切手を預金としてうけいれる手続をし、正規の通帳を交付し、更に念のためとの求めに応じて押切印のある受領書まで発行している状況下で、その支店長代理は預金として受け入れる意思がなかったと察知すべきであったと判ずるのは、明らかに失当である。

六 よって、原判決が民法第九三条但書により、本件預金契約は無効であると判断したのは、民法第九三条但書の解釈、適用を誤った違法の判決であるから、破棄されるべきである。

第二点

原判決は、上告人らが被上告人の被用者戊陸の不法行為によって損害をうけたこと、およびその被用者戊陸には預金契約締結の権限があり、本件預金契約締結の行為は外形的に被上告人の職務の執行につきなされたことを認めながら、「右被用者の行為がその職務権限内において適法に行なわれたものでなく、上告人らはその事実を知らなかったけれども、これを知らなかったことに重大な過失がある」として、第一審判決を変更し、上告人らの民法第七一五条にもとづく各五〇〇〇万円の損害賠償を求める予備的請求を全部排斥した。

しかし、上告人らに重大な過失があるとした原判決の判断は、以下に述べるとおり、民法第七一五条の解釈適用を誤った違法のものであり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破毀を免れない。

一 判例は民法第七一五条に関し、報償責任、危険責任等の理念からいわゆる外形理論をとり、被用者の不法行為により被った第三者の損害につき、使用者の賠償責任をゆるやかに認め、被害者を救済する方向をうち出してきている。

もっとも、被用者による不法行為が取引行為による場合について、判例は、被用者の権限濫用ないし逸脱について被害者が悪意又は重大な過失による善意のときは、取引における信頼の保護に値しないものとして使用者責任の成立を否定する(原判決も引用する、最一小判 昭和四二年一一月二日 民集二一巻九号二二七八頁)。

二 しかし、学説には「民法第七一五条の使用者責任は、ほんらい使用者に対し社会的に課せられた報償責任ないし危険責任たる本質をもつものと解すべきである以上、たとえ取引行為であっても、取引の安全の確保したがって被害者たる相手方の信頼の保護とはもともと関係がなく、したがって被害者側の主観的事情は使用者の責任の成否自体には影響を及ばさないものとしなければならない。ただ権限濫用や権限逸脱の場合、使用者は被害者の悪意を立証してその請求に対する悪意抗弁(民法第一条第二項)を対抗するものと解すべきである」と述べるものもある(山口幸五郎氏の右判決に対する批判、銀行取引判例百選(新版)二三八頁 概ね同趣旨を述べるもの 谷口知平氏民商法雑誌六三巻四号七六頁、伊藤進氏不法行為法の現代的課題一三七頁等。)

三 その後右にいう「重大な過失」につき、最二小判 昭和四四年一一月二一日(民集二三巻一一号二〇九七頁)は次のように判示した。

「被用者のした取引行為がその外形からみて、使用者の事業の範囲内に属するものと認められる場合においても、その行為が被用者の職務権限内において適法に行なわれたものでなく、かつその行為の相手方が右の事情を知りながらまたは重大な過失により右の事情を知らないで、当該取引をしたと認められるときは、その行為に基づく損害について、その取引の相手方である被害者は、使用者に対してその賠償を請求することができないものと解すべきことは、当裁判所の判例(最高裁昭和三九年(オ)第一一〇三号同四二年一一月二日第一小法廷判決、民集二一巻九号二二七八頁参照)とするところであるが、このように相手方の故意のみでなく重大な過失によっても使用者が損害賠償の責任を免れるのは、公平の見地に照らし、被用者の行為の外形に対する相手方の信頼が、重大な過失に基づくときは、法律上保護に値しないものと認められるためにほかならないから、ここにいう重大な過失とは、取引の相手方において、わずかな注意を払いさえすれば、被用者の行為がその職務権限内において適法に行なわれたものでない事情を知ることができたのに、そのことに出でず、漫然これを職務権限内の行為と信じ、もって一般人に要求される注意義務に著しく違反することであって、故意に準ずる程度の注意の欠缺があり、公平の見地上、相手方にまったく保護を与えないことが相当と認められる状態をいうものと解するのが相当である。

しかして、原判決の確定した事実関係によれば、上告人(甲)側のAおよびBにおいて丙に本件物件の売買および代金受領等の権限があるものと信じたことは、通常なすべき注意を尽したものとはいえないとしても、原判決の掲げる判示のような事情はいずれも比較的軽度の不注意を裏付けうるにすぎないものであって、これのみをもってしては、上告人をまったく保護するに値いしないほどに著しく注意が欠けていたものとすることはできず、いまだ重大な過失があるものと認めるには足りないものというべきである。したがって右事実関係のもとで直ちに上告人側の重大な過失を認めて上告人の請求を排斥した原判決には、民法第七一五条の解釈適用を誤り審理を尽さなかった違法がある」と。

四 これは重大な過失の意義を故意に準ずる程度の著しい注意の欠缺をさすものとして厳格に解し、使用者が全面的に免責される場合を制限する趣旨に理解されている。

五 谷口知平博士は「判例は、債務不履行の場合には債権者の過失の極めて大であるときは賠償責任を認めないこともできるが、不法行為の場合にはいかに被害者の過失が大であっても、賠償責任の全免はできない(大判昭一二・五・一四民集一六巻六一八頁)とする。(中略)民法第四一八条と同法第七二二条第二項とが規定の体裁を違えているのは、不法行為の責任を債務不履行の責任よりも重くしようとする民事法政策を現わしているものというべきであり、債権者の場合と被害者の場合とで、同じ程度の過失でも、これを斟酌して判断する賠償額には差異が認められるべきだと思う。刑事責任と異なり、民事責任として、債務不履行と不法行為とは区別すべきでないとの反対説が考えられるけれども、不法行為責任に制裁、懲罰的性質を否定することはできないので、不法行為抑制の政策的効果を考慮にいれて賠償額が認定せられるべきだと考える」とのべられる(谷口知平、植林弘著損害賠償法概説有斐閣双書九一頁ないし九三頁)。不法行為の場合、被害者に過失があっても賠償責任の全免はできないとの趣旨は民法第七一五条の解釈適用その運用にあたって十分考慮さるべきである。まことに前記判例が示すように使用者責任を排斥するのは、故意に準ずる程度の著しい注意の欠缺の場合のみに厳格に制限されるべきである。

六 また右最高裁判決は不法行為法における損害の公平な分担の理念を掲げ、「公平の見地」を強調している。

しかるに原判決は、被用者戊陸が金融機関の役職者にあるまじき重大な詐欺犯罪に加担し、これによって上告人らに多大の損害を与えていることを認めながら、その戊陸の責任ひいて被上告人の責任についての配慮を全くなさず、一方的に上告人らの過失のみをとりあげている。これははなはだ公平でない。

不法行為においては、加害者側、被害者側双方の立場、責任の度合等を総合的に考察してその損害の公平な分担を図ることが理念でなければならない。

七 上告理由第一点において述べたとおり、上告人池田としては十分注意を払っていたのである。ただ地方の一信用金庫の支店といえども、正規の金融機関であり、その店舗内で預金手続をし、支店長代理に手交した保証小切手が金庫に入金されず、そのまま他に流用されてしまうとまでは思いも至らなかった。そのような犯罪行為が仕組まれているとは全く知らず、そのおとし穴にはまりこまされたのである。

前記昭和四四年の最高裁判決では「ここにいう重大な過失とは、取引の相手方において、わずかな注意を払いさえすれば、被用者の行為がその職務権限内において適法に行なわれたものでない事情を知ることができたのに、そのことに出でず、漫然これを職務権限内の行為と信じ、もって一般人に要求される注意義務に著しく違反することであって、故意に準ずる程度の注意の欠缺があり……」と述べている。

本件において池田があとどんな僅かな注意を払いさえすれば戊陸の不法をみぬけたのであろうか。ここで一般人に要求される注意義務に著しく違反し、故意に準ずる程度の注意義務の欠缺があったとするその注意義務の具体的内容は何であったのか。原判決からこれを知ることができないのである。

八 更に、五でも述べたとおり、相手方に重過失ある場合に使用者責任の成立を否定することにも問題がある。神田孝夫氏は、「判例のごとき処理は硬直にすぎる、よりきめこまかい利益衡量をなすために重過失は単に使用者の責任範囲を画する際の過失相殺事由となるにとどまると解すべきだという学説の批判がある(前田・民商五八巻六号九二〇頁、田上・現代損害賠償法講座六二五頁、石田(穣)判例民法一巻五頁など)」と指摘され、[神田孝夫・使用者責任七九頁]。「右学説の根拠には、軽過失との限界が曖昧であるということと、文字どおり重過失であっても全く保護しないのは利益衡量のうえから妥当でないとの認識があると思われる。…中略…軽過失と重過失との限界が曖昧だとの危惧は、重過失の認定を慎重にすることで回避しうるであろう」と述べ、(同頁)そして「なお若干のためらいもあるが、筆者は、重過失の認定が抑制的になされるべきことを前提として、判例のとる重過失者除外論は是認されてよくはないか、と考える」と述べておられる(同書八〇頁)。

たしかに最高裁は重大な過失の認定を厳しく抑制的に運用されていると思われるし、学説もその運用に好意的であるように思われる。

原判決は前示最高裁昭和四二年判決に触れるのみで、前示最高裁昭和四四年判決や重過失認定運用の実際を顧慮していないとさへ思われる。

九 原判決がその確定した事実関係(その事実関係は客観性を欠き、信ずべきでない供述を軽信した採証法則違反、経験則違反の事実誤認と信ずるが)のもとで、過失相殺をなすは格別、一方的に上告人らに重大な過失があるとして被上告人の使用者責任を全く認めなかったことは、民法第七一五条の解釈や、これに関する判例の趣旨を誤解し、その適用を誤ったもので、とうてい破棄を免れないものである。

一〇 使用者責任を認めて過失相殺をする判決例は多い。とくに本件とも関連のある原告池田潤一(上告人)より被告長崎第一信用組合に対する損害賠償請求事件においても一、二審判決とも被告信用組合につき使用者責任の成立を認め、過失相殺をなし、上告審判決は原告よりの上告、被告よりの附帯上告をいずれも棄却して原判決を是認している。

一、二審判決が認定した右事案の概要は次のとおりである。

1 被告組合は夏沢花菜子に対し、昭和五八年末までに約一億円の不良貸付があった。秋海勝は被告組合の管理室長としてその債権管理の衡にあたっていたが、昭和五九年二月に被告組合北支店長に就任した後も、この不良貸付処理にあたるよう指示されていた。

2 秋海は昭和五九年七月夏沢から甲野一郎、冬野八郎らのグループを紹介され、「同グループからの借入れにより被告組合への返済をする予定である」との説明をうけた。次いで、秋海は冬野から「夏沢に融資する代わりに、われわれの連れてきた預金者から五〇〇〇万円の定期預金を受けいれて証書を発行し、その五〇〇〇万円を入金処理せずにそのままわれわれに貸してほしい。回してもらった金は期限までに甲野が用意するから、被告組合には決して迷惑をかけない」との話をもちかけられ、夏沢からも「これが借金返済の最後の機会だと思うから冬野のいうとおりにしてもらいたい」旨いわれ、また甲野も電話で「自分は冬野の上司だが、すぐにでも夏沢に四億円くらいの融資ができる、預金の協力もする」などといわれた。秋海は苦渋したが、夏沢に対する不良貸付問題を解消するにはこの話にのるほかはないと考えるに至った。

3 昭和五九年八月大阪在住の坂本正雄が大阪在住の不動産業者乙川二郎の紹介で来店し一億円の預金をしたが、秋海は一旦これをうけいれてその旨の預金通帳を発行したが、現金一億円はすぐに別室で待ちうけていた冬野らに交付し、組合内部の処理としては受け入れた預金を取り消す事務手続をした。

4 原告池田は大阪で金融、不動産業を営むものであるが、同年八月頃、春川六郎を通じて乙川を紹介され、乙川から「一億円を三ヶ月間預金協力してくれたら月二分の謝礼を支払う」との依頼をうけ、これを了承していた。

5 秋海は同年八月二四日甲野から「明日池田に一億円もたせるから同様に処理してほしい」との電話をうけた。翌二五日池田は被告組合北支店を訪れて一億円を預金し通帳を受領した。しかし、池田が帰り際に被告組合の本店に立ち寄るような態度をみせたため秋海は発覚を怖れて冬野らに現金を交付せず正規の入金処理をした。

6 秋海は同年一一月一三日坂本から「一一月二四日に一億円の預金を払戻しにゆく」との電話をうけ、電話で甲野に融資の手当をするよう求めたところ、逆に「坂本の分の一億円は送るけれどもその代償として乙川太郎(乙川二郎の兄)を行かせるから同人に乙川二郎名義の一億円の通知預金証書を渡してくれ、そうしなければ坂本の支払分は用意しないぞ」などと脅かされた。結局秋海は同月二〇日乙川太郎に対し、乙川二郎名義の一億円の通知預金証書を交付した。

7 しかし、甲野から一億円の送金がないので、同月二四日秋海が甲野に電話して「一億円を送ってこないがどうするのか」と聞いたところ、「坂本にはこちらで直接支払うよう手配ずみだ」と答えた。しかし、同月二六日坂本が北支店に現われて預金の払戻を求めた。秋海が払戻を拒否したので驚いた坂本は直ちに紹介者の乙川二郎にいきさつを伝えた。乙川は代わって支払う旨を約し、大阪でその支払いがなされた。

8 池田は同年八月二五日にした一億円の普通預金を約束どおり三ヶ月間預けた後、同年一一月二六日に払い戻していたが、同月二一日頃から再び乙川より「預金に協力してほしい」との依頼をうけた。預金の方法としては乙川が一億円の通知預金をしているので、それを解約し、その金で池田名義の通知預金をすることとし、謝礼は前回と同一とするというものであった。池田はこの話に乗ることとし、同年一一月二九日乙川太郎とともに北支店に赴いた。他方秋海は事前に甲野から電話をうけ「乙川太郎をそちらにやるから乙川二郎名義の証書を池田名義の証書に替えてくれ、池田も自分達の仲間である」などと強く要求され、やむなく応じる旨答えた。秋海は支店前の喫茶店で乙川二郎名義の証書を受け取ると、これを支店内で池田名義の預金証書に作り替え、これを喫茶店で池田に手渡した。

9 池田は翌三〇日大阪で乙川二郎の妻に対し、報酬の一部である四〇〇万円を差し引いて現金九六〇〇万円を支払った。

10 池田は昭和六〇年二月二三日頃被告組合に対し、一億円の通知預金を三月一日付けで解約する旨申出たが、組合から預金されていないとして払戻を拒否された。

右事件において池田(上告人)は被告組合に対し、主位的に預金債権の存在を主張し、予備的に秋海支店長の不法行為に基づく使用者責任としての損害賠償を訴求した。

これに対し、第一審判決(大阪地方裁判所、昭和六〇年(ワ)第四四四七号、昭和六三年五月二四日言渡)は、主位的請求は認めなかったが、民法第七一五条による使用者責任を認め、五割の過失相殺を相当とした。

右判決に対しては、原告及び被告組合双方より控訴がなされたが、第二審判決(大阪高等裁判所、昭和六三年(ネ)第一〇九五号、同年(ネ)第一一三九号、平成元年八月二九日言渡)も、原告の主位的請求は認めず、使用者責任を認め、原告の過失割合を約三割とし、被告組合に対し六七〇〇万円の支払を命じた。

池田は主位的請求の認められるべきことを主張して上告し(平成元年(ネ)第一六〇二号)、被告組合は附帯上告をなし(平成元年(ネ)第一六〇三号)第二審でも主張したとおり「原告池田は秋海が池田名義の通知預金証書を発行したことは、それが秋海の職務権限内において適法に行なわれたものでないことを知っていたか、または少なくとも重大な過失により知らないで同証書を受領したものというべきであり、原判決は民法七一五条にいう「事業の執行に付き」の解釈適用を誤りひいて審理を尽くさない違法をおかしている」と主張した。

しかし、最高裁判所(第二小法廷)は平成二年四月二〇日上告及び附帯上告をいずれも棄却する旨の判決をなし、二審判決を是認したこと上記のとおりである。

尚、右二審判決は、被告組合の附帯上告におけると同じ前記主張を排斥するにあたり、

「第一審原告に過失のあることは免れないが、ただ本件は金融機関の支店長が直接第一審原告と応接してその肩書の信用性を利用させているのであり、取引の相手方である第一審原告が信用するのは無理からぬところであって、この点では第一審原告を責めるのはいささか酷とも考えられ」と述べている、重過失の判定にあたり金融機関の役職者への一般人の信頼をとりいれていることはまことに正当といえる。

上告人池田潤一の上告理由〈省略〉

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